ここでは、メールマガジン内で紹介された池田憲章氏の特撮コラム「池田憲章の部屋」、特別にメルマガに登場していただいた著名人による特撮へのコメントをご紹介しています。
この他にもたくさんのコンテンツが用意されたメールマガジン!
ご登録がまだの方は、是非登録ください!
登録ページはコチラ。

メールマガジン第6号

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
          □■ 連載コーナー □■ 
           「池田憲章の部屋」
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

【バートンとセリックの饗宴 ジャック・スケリントン】

「ナイトメア・ビフォア・クリスマス」(1993)の監督ヘンリー・セリックとビジュアル・コンサルタントのリック・ハインリクスは、この映画の原案、キャラクターデザイン、製作を手掛けたティム・バートンとカリフォルニア芸術大学の学生の頃から友人だった。ダークでユーモアにあふれたティム・バートンの個性的なイラストをリック・ハインリクスが立体モデル化して、バートンは初めてモデル・アニメーションへの手がかりをつかんだという。バートンやセリックは、「シンドバッド七回目の航海」や「アルゴ探検隊の大冒険」の特撮マン、レイ・ハリーハウゼンの大ファンだったからだ。
  1979年、ディズニー・スタジオで働いていたティム・バートンは「きつねと猟犬」、「コルドロン」のキャラクター・デザインを評価されて、
監督をやってみないかとプロデューサーに勧められ、ハロウインをテーマにモンスターを主人公にする“Trick of Treat”という企画をたてた。
そのパイロット作品として、6分間の“Vincent”というストップ・モーション・アニメをバートンは製作する。このバートンの映像作家としての監督デビュー作は、映画祭で評判をよび、数々の賞をバートンにもたらす。
これが「ナイトメア・ビフォア・クリスマス」の原点となった。
 1982年、「ナイトメア・ビフォア・クリスマス」と名づけたバートンの新しい物語は、当初TVスペシャル用のストップ・モーション・アニメとして企画されたが、手をあげるTV局はなく、長く眠ることになる。そして、実写による実験映画の短編「フランケン・ウィニー」(1984)を完成させて、バートンはディズニー社を去っていった。
 1990年、バートンは「バットマン」を監督、その大ヒットによって、バートンは念願の「ナイトメア・ビフォア・クリスマス」の映画化に
乗りだすのだ。バートンの映像作家としての呼吸の見事さは、自分はストーリーの原案と全キャラクターのデザイン・ワーク、世界観を判らせるイラストに集中して、監督をヘンリー・セリックに託したことで、1988〜90年頃MTVのアイキャッチ
をストップ・モーション・アニメで作り続け、6分間の「スロー・ボブ・イン・ザ・ロウアー・ディメンション」という短編をストップ・モーション・アニメで完成させたセリックの力量とセンスをバートンは高く評価していたのだ。そして、2年間に渡って、120人以上のアニメーター、美術マン、造形スタッフ、カメラ・クルー、コンピューター技術者が参加して、
「ナイトメア・ビフォア・クリスマス」は熱気をはらみながら、製作されていく。ジャックの表情は、同じ造形の顔を動かす技法ではなく、180種以上の表情を変えたフェイスを付け変えていく、まるで「月世界征服」(1950)や「宇宙戦争」(1953)の SF映画をプロデュースしていたジョージ・パルが1940年代、製作していたカラーの人形アニメ「パペトーン・シリーズ」のジャスパー坊やシリーズ(この作品はカカシとカラスのイジワル・キャラがジャスパーを悪事に誘い、カラー効果を上手く使った悪夢のイリュージョンが
必ずクライマックスになり、どこかバートンの作風の源流を思わせる)の手法で、ストップ・モーション・アニメ(人形アニメ)の技法としては、異彩を放っていた。これは、ミュージカル・シーンのリップ・シンクロ(歌と口の形、タイミングを合わせる技法)のためであったが、セリックのアニメーション作家としての映像設計のたくみさをまさに実証した。
セリック監督は、2009年、このデジタルCGの時代に、あえて人形によるストップ・モーション・アニメ「コララインとボタンの魔女」を3D映画として完成させた。3D効果より、人形世界のイメージ力、幻想性、表情のたくみさとエモーションが圧倒的であった。
「ナイトメア・ビフォア・クリスマス」とまさに兄弟作品でヘンリー・セリック監督の才能と個性を「コララインとボタンの魔女」を見てから
「ナイトメア」を見てもらうと、はっきり実感できるだろう。ティム・バートンとヘンリー・セリックの夢の饗宴、それがジャックとサリーの
美しく、華麗な撮影と、ハロウインタウンのきもわるキャラたちのにぎやかさと悪ふざけ(笑)、そして絶品のミュージカル・シーンを支えるパワーであった。
ジャックの特撮リボルテックを見つめていると、ふと動き出して、ボヤき、ニヤリと笑いながら歌い出しそうだ。バートンとセリックの魂がその造形に映し取られているからなのだ。人形には命がある。昔からよく言われる名言を久しぶりに実感できる名キャラクターだ。

(特撮研究家・池田憲章)

■連載コーナー■「特撮リボルテックの輪」

今回の登場は、『湘南純愛組』、『GTO』などの作品でお馴染みの
漫画家『藤沢とおるさん』から頂いたコラムです。

【ぐりんぐりんだよ、人生は】   藤沢とおる

小さい頃、TVのアニメや特撮が大好きで「ウルトラマン」から始まり「ウルトラセブン」。
「ウルトラQ」は、うる覚えだが「キャプテンウルトラ」「怪傑ライオン丸」「仮面の忍者 赤影」「電人ザボーガー」「ゴレンジャー」
「仮面ライダー」「デビルマン」「マジンガーZ」(中には「事件記者コルチャック」なるものもあったが)

とにかく、その頃の人気番組を学校をさぼってまで、むさぼるように見ていたのを覚えている。

なので当然、プラモデル、超合金、ソフビも好きだったわけで。

よく、親の財布から金をくすねては、プラモやソフビをおもちゃ屋に買いに行ったり、駄菓子屋から黙って持ってきたり(笑)
その頃の自分の部屋の棚は、そんな特撮やアニメのオモチャがところ狭しと並んでいた。

中学生になり、悪い仲間や先輩が出来て、やんちゃを始めると今度はアニメや特撮物のプラモより、車やバイクのプラモのカスタム(シャコタンにしたりオバフェンつけたり)・・・と、よくあるやんちゃ中坊の部屋に並ぶ物に変わりはじめるわけで。

おそらく、そのまま、そんなかんじの物が増えていくんだろうな・・と
思っていた高校入学の頃。
突然、、棚に異変が起こるのである。

きっかけは「機動戦士ガンダム」の再放送を見た事であった。

あれを見てにはまってしまったために、アニメやら特撮にまた、はまったのである。

ペタンコに潰したカバンの暴走族ステッカーは「ザク」のステッカーに変わり、友達もアニメや特撮好きが増え、棚には車やバイクの
プラモの横に「マクロス」や「ガンダム」「ボトムズ」などのプラモがまた、並び始めたのである。

もちろん改造した。
アニメの中に出てくるようなポーズをリアルに再現させるためだ。

シャコタンやオバフェンのプラモ技術をいかし、ウエザリングやプラ板加工などで改造を施し、リアルにポーズをとらせ、よく棚に
飾ったものだ。

・・そう、あの頃は改造するしかなかったのである。
それは可動範囲の問題だ。

あの頃のプラモは可動範囲がせまく、アニメと同じようなポーズをとらせるためには切って貼り、パテを捏ね、プラ版で
加工しないと、ぎこちないポーズしかとれなかったのである。

車やバイクのリアル物を作ってきた自分としてはそれが解せないところであった。
だから改造は不可欠だったのである。

その後も可動範囲のひろがったプラモやフィギアは出てくるのだがやはり作中ポーズには程遠く・・・・

そんな中、革命的な商品が出た。
それが「リボルテック」だったのである。

まさに革命だった。
「エヴァンゲリオン」がぐりんぐりん動く。
スパロボの「マジンガーZ」もぐりんぐりん。

「大空魔竜ガイキング」に「綾波」だって、ぐりんぐりんである。

それが今度は特撮だ。
あの「大魔神」がぐりんぐりん。
「ジャイアントロボ」や「ブースカ」だってぐりんぐりん。
「ジャイアントロボ」なんてきっと当時の放送よりぐりんぐりんである。

もうこれは笑うしかない。パテもプラ版もいらないのだ。
改造しなくても作中ポーズがリアルにとれるのである。

かくして現在。 自分の棚には「リボルテック」が並びはじめた。
年甲斐がなくても、オトナ気なくてもいいのである。
あの頃、憧れていたものが改造なしでリアルにぐりんぐりん動くのだから。

================================
◆ 藤沢とおるさんプロフィール
================================
藤沢とおる
1967年生まれ 漫画家。
代表作に「湘南純愛組」、「GTO」、「ROSE  HIP ROSE」、
「仮面ティーチャー」などがある。
現在、少年マガジンにてGTO番外編「SHONAN 14DAYS」を執筆中
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

この他にもメルマガ限定のコンテンツをご用意しています!
是非、ご登録ください!
登録ページはコチラ。