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□■ 連載コーナー □■
「池田憲章の部屋」
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【大魔神との不思議な縁】
1985年、京都太秦の大映京都撮影所を訪ねて、「大魔神」3作の撮影をした森田富士郎撮影監督と3本目の「大魔神逆襲」の森一生監督と会って、雑誌用に対談インタビューを行った。
「大魔神」と「ガメラ」シリーズを中心とした大映特撮の特集ムック本の記事であった。
窓口になってくれた井上所長代理が、「せっかく京都に来たんだから、大魔神に会って行きますか?」と笑って、A2ステージに案内してくれた。
「大魔神」(1966)撮影時に、高山良策氏が製作した4.5mの大魔神の本物が、A2ステージの壁によりかかって天井からロープで支えられていた。
「神様なんで、捨てらんなくて20年もこうしているんですわ」と井上所長代理は語ってくれた。
タルキの木でボディの骨格を作って、ドンゴロスの布がニカワではられ、その上に合成ゴムのヨロイ部の表皮がつけられていた。
日本特撮史に残る本物の造形物だった。
翌年、撮影所が閉鎖になった時、私が間に入って、海洋堂がこの特撮造形の傑作を引き取ることになり、その造形の秘密を詳細に分析した。
今回の特撮リボルテックの大魔神は、本物を見続け、分析した海洋堂の特撮魂が発揮されたフィギュアであった。
1990年代、レーザーディスク化時にも解説を担当して、大魔神をデザインした内藤昭美術監督、音楽の作曲家・伊福部昭氏も取材できた。
特撮リボルテックで、私は大魔神に3度、仕事で出会うことになった。
本当に縁がある神様なのだ(笑)。
(特撮研究家・池田憲章)
■連載コーナー■「特撮リボルテックの輪」
映画監督の『河崎実さん』から頂いたコラムです。
【フィギュアと共に落ちてゆく】 河崎実
「特撮」とは、子供の遊びだ。幼児が人形をヒーローや怪獣に見立てて積み木のビルを壊し遊んでいる。
あれの延長上のものだ。空想の楽しみでもある。
「ウルトラQ」と「ウルトラマン」の正式タイトルが「空想特撮シリーズ」という事をともすれば皆忘れているだろう。
そして、そこに登場するものはすべて実在しなければならない。手を出せば触れる、質感を楽しむ事ができなければならないのだ。
だから昨今のCG映画は「特撮」映画とは似て非なるものだ。それは時代の趨勢で、CGを使用しない映画はこれからはありえないだろう。
でも、CGって所詮パソコンでカタカタとキーを叩き作るもんなんだよな。
私が最も尊敬した実相寺昭雄監督はかつてこう言った。
「コンピューターのプログラマーが映画界を我物顔にのさばる日が来るのなら、私は落ちてゆく所を探さなきゃならない」(「円谷英二の映像世界」より「夢の王国断章・円谷英二讃仰」83年刊)
実際、監督は最後まで特撮の人だった。生の美術・作り物に拘る映画を撮り、余暇はフィギュアを買い漁り、触って遊ぶどうかしている子供大人だった。
私も監督に倣っておととし、「ギララの逆襲」という特撮怪獣映画を作った。小さいながらも特撮の火が消えなければよいと思った。しかし、残念ながら続編の夢は叶わなかった。だが特撮の火は永遠である。私も監督同様落ちてゆく所はフィギュアとの戯れである。まさに積み木で遊ぶ子供のように。
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◆ 河崎実さんプロフィール
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映画監督。昭和33年東京生まれ。「いかレスラー」「ヅラ刑事」
「日本以外全部沈没」「ギララの逆襲」などを製作・監督。
河崎実監督公式サイト
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